伝説は存在するのであろうか?
「そういえば趣味何?」
今日は先輩から、趣味について問われた。
が、私には特別な趣味などない。
強いて挙げるならば、
ピアノ演奏、筋トレ、コーヒー焙煎・豆挽・抽出、オンライン英会話、
絵描き、コーヒーの木育成、フットサルくらいである。
これは趣味というよりもむしろ、習慣なのではないかと思ったりもする。
起床後、帰宅後、就寝前、それぞれの時間に行うわけだけれども、
ほぼ習慣化していて、自動的に趣味活動を行う。
中でも一番好きな活動は、フットサル。
仲間と休日だけできる、至福の時間だ。
たまに知らない人もいて、知らない人との関係も深まる。
私のプレースタイルは、テクニック重視で楽しむこと。
テクニックを披露し、周りから「ファンタジスタ」と呼ばれてみたい。
「あなたはファンタジスタ」
いい響きだ。
サッカーの本質を理解し行動化できた人こそ、
「ファンタジスタ」と呼ばれる権利が与えられる。
まさにファンタジーの世界である。
ファンタジスタという単語は、イタリア語で想像と訳し、
ファンタジーという単語は、イギリス語で幻想的と意味される。
似ている言葉で、どちらも頭の中だけに存在するような、伝説的な存在だ。
どれだけ努力すれば唯一無二の存在になれるのだろうか。
努力することによって獲得できる境地なのであろうか。
そう思索するものの、「フットサルが趣味です」と簡潔に答えた。
「先輩の趣味は何ですか?」
彼に趣味を訊くと、彼はこう答えた。
「サザエさんを観ること」
私はこう答えた。
「素晴らしいですね」
あるハーバード大学の教授によれば、
「人が相手に質問をする理由は、自分がその話をしたいため」
という。
先輩が「趣味は何?」と聞いてきた理由は、
単に私の趣味を聞きたいからではなく、
先輩自身が自分の趣味(サザエさんのこと)を話題にしたいからである。
けれども、なんでサザエさんなのだろう。
と疑問に思った。
話を深堀りする。
とはいえ、彼は仕事生産性の高い先輩である。
話を深堀したかった、という表現に変えよう。
時間を奪いたくない気持ちから、手短に話を進めることにした。
彼の話を3つにまとめた。
①サザエさんが大好きで、漫画は全巻集め、アニメは30年連続で見ている。
②ただ単に観るだけではなく、キャラクター心理分析を行う。
③統計学を駆使し、じゃんけん必勝法を作り上げた。
なるほど、彼は収集心と探求心に溢れている。
家にはサザエさんノートが約200冊あるらしい。
当然のごとく、私は彼にこんな質問をしてみた。
「こんなに知識があるなら、ブロガーかユーチューバーになれると思いますが?」
しかし彼はすぐに反論した。
「収益目的でサザエさんを観てきたのではない。これは自分との戦いなんだ」
彼の言葉を聞いて、私はある1つの逸話を思い出した。
かつて、サザエさんを観るためだけに生まれてきた命がある、という逸話があった。
その人は、誰よりもサザエさんを愛し、誰よりもサザエさんを理解する。
その人は、誰よりもサザエさん知識を積み重ね、サザエさん知識に関しては、山の頂上まで登りつめる。
その人は、サザエさんの本質を探るため、毎週毎週、知識を蓄えていく。
作者よりも詳しい知識を持っているかもしれない。
まるで食物連鎖を覆す、破壊者。
1匹のカラスが1匹のワシを食い尽くすのだ。
「サザエサニスタ」
その人は周りからこう呼ばれ、崇められていた。
ところがその人は、突如としてこの世から消えた。
1つの伝言を残して。
「サザエさんの本質を理解できた」
逸話が存在する前提であれば、
私の先輩、彼は、そんな一族の後継者なのであろうか?
なぜ彼は「これは自分との戦いなんだ」と発言したのであろうか。
単に好きという気持ちから生まれた発言なのであろうか?
それとも、
後継者という強い気持ちから生まれた発言なのであろうか?
私は後者であると信じたい。
そして私は、逸話がこの世に存在していた、という事実を噛みしめたい。
伝説の「サザエサニスタ」は、この世に存在するのである。